
| あとがき |
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最近素朴な石仏にこころの旅路をたずねる風潮が高まり石仏の写真集が静かなブームにのり続々と刊行されております。 石仏の宝庫ともいえる大和路や九州の国東半島、それに信州など全国の僻地に至るまで石仏が旅行雑誌で紹介され、JRの観光用ポスターにまで登場し興をそえているようであります。 古墳時代から河内王朝の栄えた土地柄からみてわが郷土河内には由緒深い古石仏が数多くあっても決して不思議ではありません。 近くに住んでいても立派な石仏のあることすら全く知らない人がなんと多いことか今更ながら驚くほかありません。 風景の点景として写真になる大和の野仏に比べて河内の石仏は写真の点景にはなりませんが興味深いものが数多くみられ大変勇気づけられたものであります。 石仏といえばとかく線香くさい、老人趣味的な特異な分野ときめつけられどうもなじみにくいものと敬遠されがちであります。そこで石仏をこの際見直し、わたしたちの先祖の人々のこころの足跡をここにHPとしてまとめてみたわけであります。 人の幸、不幸にも一つ一つ根があるようにお地蔵さんの姿にも一つ一つの歴史が深く刻みこまれております。 大自然の中での石のみほとけとの偶然の出合い、そしてその浮彫り(レリーフ)との対話は人のこころに旅情と郷愁と安らぎを与えてくれることでありましょう。 庶民との結縁を求めている石仏も近頃では盗難防止のために施錠されたり、セメントで固められたりしている姿をよく目にします。 これらの河内の石仏の横顔に悲惨な生活の中で救いをひたすら信仰に求めながら生きぬいてきた先祖の人々の風貌をかいまみることができます。 地蔵信仰の根底には仏教以前の日本国有の土着の信仰が大きなウェイトを占めていることは今さら言うまでもありません。 むかしの人は素朴な心情を身近かに豊富にある石を素材にして仏の姿として刻み後世に残しました。 それは一口にいって「庶民のこころの造形」そのものであります。 このHPから野仏を生活とこころの支えとしてひたすら守りつづけてきた先祖の人々の飾りけのない素直なこころを少しでも感じとっていただけたでしょうか。 これを機会に史跡散策の途上、平素は見過されがちな路傍のささやかな祠堂にも暖かい目を向けていただきたいと思います。 物よりこころの豊かさが問い直されつつある今こそ、祖先の生活、信仰、悲願を形として表わした石仏に着目し、石仏を通じて正史に記録されていない数々の郷土の民衆生活史を探っていただきたいと思います。 街角にたたずむ石の地蔵さんは、いつの問にか地域住民相互間のこころの結びつき、連帯感を育てる役目を果しておられるようであります。 |